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「美白」は差別か、をめぐって

BLM運動がトリガーとなって、某有名化粧品会社が「ホワイトニング」などの表現をやめる動きとなった.8月26日の朝日新聞は「『美白』は差別か」のテーマで、3人の識者の意見を特集している。3人は、それぞれ専門を異にし、社会学者は、<みんなと同じ>を旨とする日本人の集合意識から、みんなとは違うものを排除する意識があり、かつてクレヨンや色鉛筆に「肌色」があったように、肌の色の多様性も「見えない」のとして、むしろ肌の白さを排除した日本人の心性に言及している。社会文化史の研究者は、日本人は明治の近代化、欧米化にはじまり第二次大戦の敗戦後まで、白人至上主義に彩られ、「日本人離れ」は褒め言葉として使われてきた。今や「白人幻想」は崩壊しているが、社会が女性に求める価値が存在し、圧力となって女性の美白願望に結び付く。美白の問題は、いまだ女性の置かれた社会的な位置の低さを暗示している、と言っている。美容ジャーナリストは、化粧品やファッション界では白人モデルが重用され、日本人の外国人コンプレックスの典型とされるが、日本人の白肌願望はむしろ18世紀の浮世草子「世間娘容気」に書かれた「色の白いは七難隠す」という諺から一貫して肌の白さを求める美意識となっており、人種差別意識とは異なるものであるという。今や美白関連商品の市場は数千億円を超え,「美白」は[純粋な美容概念]であると説いている。

3人の専門家のr論評に触発されて、日本人の色についての心性をたどってみることにした。ここでは、とくに白と黒について。

先ず民俗学の知見では、柳田国男は「明治大正史世相篇」(1930年)のなかで、日本の豊かな自然の美しさを、次のように書いている。「緑の山々のうつろい、空と海との宵暁の色の変化に至っては、水と日の光に恵まれた島国だけに、また類もなく美しく細かく、かつあざやかであった」と。それゆえに、日本人は色彩感覚に繊細さ、鋭敏さを備え、「花やかな色が天地の間に存すること」を知りながら、常人は「樹の蔭のような、やや曇った色」を愛して、常の日の安息を期していた」という。自然の美しさへの「我々の手に触れ、近づき視ることを許さぬ感動」が、聖と俗そして禁色をつくっていったという。黄や紫は上流の色。白は「忌々(ゆゆ)しき色」で「神祭りの衣か喪の服以外には身に着けなかった」。白は「眼に立つ色」であり、「清過ぎまた明らか過ぎ」たからである。明治になって白色が庶民も身に着けるようになったのは、外国の影響と、ハレとケの混乱があるという。

同じ民俗学の立場から宮田登は、白の神性を挙げ、白山や白神山、全国にある白山神社、東北のオシラサマ信仰、その他白馬や白拍子等々、白にまつわる伝統的な聖と俗を説いている。(「白のフォークロア」)白が目立つ色であることは、降伏の時に掲げる白旗、海女漁業で海女たちの潜水着、今は黒いウエットスーツ着用でも頭には必ず白い手拭いを被る、などは、身の安全を守るために、目立つ白を用いているのだ。清らかな色としては、明治期以後の医療や衛生思想の発達で、白衣の天使とよばれる看護師も誕生した。

しかし明治期以降、新しい文明の象徴として「黒」の重用が現れる。蒸気機関車、自動車、扇風機、電話機、万年筆、タイプライター、それに明治期に定められた制服―巡査や学生服等々。今でも公用車、喪服やリクルートスーツなどは黒が通念となっている。逆に白は、電化製品等で一般家庭のなかに溢れている。

文化人類学の山口昌男は、『黒の人類学』で、人類学者が対象とする社会―主としてアフリカ中心―では、色を規定する言語はなく、経験領域や神話や宗教的表象の意味論で分類しているという。南ローデシアのルンタ族の例では、黒を意味する観念は、暗いこと、呪術、悪魔、死、など。これに対し、白は、明るいこと、生、光、善、幸運などを意味し、白と黒に対抗するのが赤の観念で、血液、生命力、殺害、火、熱情などを意味し、黒・白・赤が三原色を成しているという。このような色の意味論について、山口は、日本にも「青」が空色から紺色、濃緑色までを含む幅広い領域の観念で、青二才、青臭いというように未熟を意味する例を示している。面白いのは、ルンタ族では、色の黒い女性は愛人として理想的とされているという。そういえば、かつてわが国でも、小学生は夏休みに海で泳いで日焼けした黒さを「黒ん坊大会」と称したイベントで競い合ったものだった・・・。

このようにみると、文化的には黒や白が差別的な意味はもたず、黒人差別や美白願望は、ジェンダーと同様、社会的、歴史的に作られたものであると言えよう。

最後に、柳田国男が描き出しているわが国の自然の比類なき美しさを、私たちは決して壊してはならない、守り続けなければならないと、改めて強く思ったことである。 (木村記)

 

引用文献 柳田国男「明治大正史 世相篇」(「新編柳田国男集第4巻」筑摩書房1982)

宮田 登「白のフォークロア」(平凡社ライブラリー 1994年)

山口昌男「黒の人類学」(「人類学的思考」ちくま書房1970年所収)

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